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あしあと

    戦国時代の芝山と『山室譜伝記』

    • [2020年9月11日]
    • ID:3951

    戦国時代の芝山と『山室譜伝記』

     今から500年ほど前、日本各地で戦乱が起きていた時代を「戦国時代」と呼びます。この時代の人物といえば武田信玄(たけだしんげん)や上杉謙信(うえすぎけんしん)、織田信長(おだのぶなが)が有名ですが、当時の芝山町域では「山室氏(やまむろし)」という一族が活躍していました。その様子を記した『山室譜伝記(やまむろふでんき)』という本が現在まで伝わっています。

    『山室譜伝記』の写本

    『山室譜伝記』とは

    『山室譜伝記』は山室氏が活躍していた戦国時代から約160年後の江戸時代(宝暦6年(1756年))に書かれたものです。内容は、飯櫃城主山室一族の興亡を中心に大台城主の井田氏、山中城主の和田氏などの動静、飯櫃・徳蔵寺や坂志岡・承天寺、新井田・称名寺、菱田・薬王寺など寺社の由来や地名の由来に関することなどが記されています。戦国時代から時間がたった江戸時代に書かれた本ということもあり、書かれた内容すべてが真実とは言えませんが、戦国時代の芝山町域の様子を伝える貴重な史料といえます。

    飯櫃城主・山室氏

    それでは、『譜伝記』の内容から戦国時代の様子をみてみましょう。
    まず、山室氏とはどのような一族なのでしょうか。『譜伝記』によると、源為朝(鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の叔父で、伝説的な強さの武者)の子孫で、はじめは上総国山室村(現在の山武市松尾町山室)にいましたが、天文元年(1532年)に飯櫃城(現在の芝山町飯櫃)を築いて移り、常隆―氏勝―光勝―光慶と続きました。
    山室常隆は下総国多古城主(現在の多古町)牛尾胤仲と佐野原(現在の多古町喜多)で合戦となり、牛尾軍を破り多古城を落城させました。その後牛尾軍によって飯櫃城を攻められましたが撃退して牛尾胤仲を滅ぼし、多古の領地を手に入れました。

    小原子橋上から飯櫃城跡を望む

    飯櫃城跡に残る空堀(からぼり)跡

    飯櫃城落城

    天正18年(1590年)、豊臣秀吉は天下統一の総仕上げとして、小田原城(現在の神奈川県小田原市)を本拠に関東を支配する北条氏を攻め滅ぼしました。秀吉は房総の城主たちに居城を明け渡すよう連絡しましたが、当時の飯櫃城主・山室光勝は拒否し、城の改修をして籠城(城に籠って戦うこと)の準備を始めました。
    同年12月、秀吉の命令を受けた信濃国高遠城主(現在の長野県伊那市)・保科正直の軍千騎あまりが飯櫃城に迫りました。戦いは同月27日の夜、保科軍が近くの村を焼き払い、翌朝城に攻めかかり始まりました。山室軍はよく防ぎましたが、かつて山室氏に敗れた牛尾胤仲の子、牛尾熊助が城内にて火を放ち、これをきっかけに保科軍が押し寄せました。奮戦むなしく最期を覚悟した光勝は、家老の怒賀家忠らと別れの盃を交わし、家忠は光勝の身代わりとなることを申し出、櫓の上で切腹し果てました。この間に光勝と家忠の子・忠重は城を抜け出しますが、忠重は途中で戦死し、光勝も雪が降る28日午後10時頃、岩山辺りで自害しました。光勝の子・光慶は「菱田村殿部田(現在の芝山町菱田)」まで落ち延び、慶長14年(1609年)まで生きました。

    『譜伝記』で山室氏が落ち延びたと記されている「菱田村殿部田」の現在の風景

    今も残る『譜伝記』の世界

    現在でも飯櫃城跡には空堀(水のない堀)や土塁(敵の侵入を防ぐために築かれた土手)の跡が残り、「城之内」「大堀切」「根古屋」「宿」などの城に関わる小字がみられます。
    また、『譜伝記』には、朝倉の怒賀、浅川の愛河、作間、岩山の斉藤、岩澤、稲葉の飯田、白枡の笹河、児島、菱田の木川、戸村、大木、小原子の石井、郡司、山田の小川などが山室氏の家臣として書かれており、これらの名字を名乗る人は現在も町内に多く住んでいます。
    このように、『譜伝記』を読んでみると、現在も戦国時代の痕跡が町内のあちらこちらに残っているのが分かります。戦国時代の芝山を知りたくなったら、ぜひ『譜伝記』を読んでみてください。

    まんが山室譜伝記『風雲!飯櫃城』

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    関連ページ

    〇飯櫃城跡(別ウインドウで開く)

    山室常隆が築城したと伝わる城。


    〇徳蔵寺本尊坐像(別ウインドウで開く)

    徳蔵寺は、飯櫃城主山室常隆の祈願所として創建された寺院です。


    〇田中山西福寺と力士・大童子峰右衛門(別ウインドウで開く)

    西福寺の本尊の不動明王は、山室氏の祖・源為朝の守り本尊だったといわれています。


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