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あしあと

    田中山西福寺と力士・大童子峰右衛門

    • [2020年9月9日]
    • ID:3952

    田中山西福寺と力士・大童子峰右衛門

    紹介

    田中山西福寺と不動明王像

    小原子地区にある田中山西福寺は承和元年(834)創建とされ、飯櫃城主・山室氏の遠祖と伝えられる源為朝(武勇に優れた、源頼朝や源義経の叔父にあたる人物)の守り本尊であったとされる大聖不動明王を本尊としている。
    天正18年(1590)、飯櫃城は保科軍に攻められ落城し、西福寺もその兵火のより焼失した。その後、西福寺本尊の不動明王像も泥に汚れ、焼け跡に転がっていた。これを新しい領主・保科氏の家臣大熊大膳が見つけ裏山に安置したが、大膳の夢の中に不動明王が現れ「汝らのために兵火にあったので、汝を火の中に罰する」とのお告げがあり、恐れをなした大膳は西福寺を再建した。すると、不思議な仏様であると周囲に伝わり、多くの参詣者が集まり、店も並ぶほど賑わった。
    この西福寺の不動様は、匝瑳市の米倉に伝わる盆踊り唄「権左が西国(権左節)」の中で「小原子 田中の よごれ不動様 ご利生がかなわば まいれ友達」と登場する。また、よごれ不動様の由来は、九十九里浜に汚れた不動様が流れ着いたのをもってきたからともいわれている。
    現在も1月28日の「初不動」(その年最初の不動明王の縁日)では、檀信徒が集まり護摩祈祷が行われている。

    田中山西福寺全景

    初不動の様子

    力士・大童子(おおどうじ)峰右衛門

    西福寺の裏山には、小原子出身で江戸時代に相撲取りとして活躍した大童子峰右衛門のお墓がある。本名は木川峰吉といい、宝暦11年(1761)に初土俵を果たし、当時の最高位である大関を務めた実力者だった。身長7尺2寸(約2.18m)、体重67貫(約251キログラム)の巨漢であったと伝えられている。明和4年(1767)に廃業し、郷里の小原子に戻り農業を手伝っていたが、加茂の普賢院の留守居となり、近所の人を集めて草相撲をしたともいう。晩年は西福寺の堂主として過ごしたとたといわれている。

    大童子峰右衛門の墓

    所在地

    郵便番号 289-1611
    千葉県山武郡芝山町小原子129-1

    お問い合わせ

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    電話: 0479-77-1861

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